
エミ氏のたっての希望で
『箱根ラリック美術館』
に行った。必要以上に装飾された意匠が今ひとつ苦手、というか、こういう発想ができないワシにとって、
アール・ヌーヴォーやアール・デコといった過装飾な芸術品はどうも取っ組みにくい存在である。
仏国シャンパーニュ地方で生まれた
ルネ・ラリック氏(1860-1945)は宝飾細工師を経てガラス工芸師に転進した、
両方の芸術の潮流で活躍した芸術家である。彼の存在など皆目知らないワシは、「19世紀仏国」「アール・ヌーヴォー」「アール・デコ」
「宝飾」「ガラス」「芸術家」という鍵単語だけでちょっと敬遠気味だった。しかし、見て考えを改めた。彼は「職人」だね。
高度な芸術作品をいかに量産するかに腐心していた。その苦労が作品にも見て取れる。ガラスを型に入れて整形するので「抜き勾配」
など意匠的な制約が多いはず。少ない型でいかに多くの商品構成にするかなども悩みどころだろう。一昔前の人件費が安い時代の
「人海戦術」的な製作方式に頼っていないのが強烈にワシの心の琴線に触れた。といっても物凄い手間はかかっているだろうが。
同時代の仏国の建築家に
ジャン・プルーヴェ氏がいる。ワシの最も好きな建築家である。
彼も当時としては画期的な「プレハブ」を考案し、いい物を多くの人に供給できる方法を模索していた。両氏に共通しているのは、
少年時代に職人に弟子入りし、腕を磨いたということだ。ラリックは宝飾細工師に、プルーヴェは金属加工工場にそれぞれ10代で
弟子入りしている。そういう確かな下積み時代があるからこそ、芸術畑で育ってきた人とは違う視点で物を産み出せたのだろう。
現在「巨匠」と言われているデンマークの椅子図案家(designer)
ハンス・ウェグナー氏も少年時代より木工所で腕を磨き
「マイスター」の資格も得ている。
これら偉大な先人の仕事を見るにつれ、自分のあまりの未熟さに恐縮する。技術だけでなく精神面でもだ。
「もうひたすら謙虚な気持ちで、黙々と妥協せず物を作っていくしかない」と言う気持ちになる。エミ氏のおかげで、
気持ちが引き締まりました。

皆樣、新年明けましておめでたう御座います。
昨年は企畫展や家頁を通しまして多くの方とお近づきになれました。人好きのワシにとつてはこの上ない喜びであります。
更に多くの仕事もさせていただき、おかげさまで家族三人無事新年を迎へることが出來ました。
さう、家族が揩ヲたといふのも大きな出來事でした。よく耳にはしてゐましたが、父親になるとやはり仕事や生活への情熱も格段に
違つてくるやうです。家族の絆、family-ties の力は偉大ですな。
今年はこの勢ひも驅つて、更なる飛躍の年にしたいと願つてをります。恐らく毎年頭この臺詞を言ふのでせう。沒落を願ふ人など
ゐませんよね。それでもちやんと口に出して言はなければいけないのです。「言靈」つてやつがありますから。
それでは皆樣、本年もどうぞよろしくお願ひいたします!!!!!!